札幌グッドアワー教会
本ブログは、札幌グッドアワー教会のページ(http://www.goodhourch.com/)のコンテンツの一つとして運営されています。集会案内、牧師コラム、教会員の証し等々。
律法からの解放 (2005年03月06日 西森牧師)
(本記事は、牧師コラム「天の窓」のバックナンバーを再掲載したものです。)
アンドリュー・マーレーは、十字架から与えられる恵みについて、二つの言葉で表現しています。それは、十字架の贖いと十字架の交わりです。十字架の贖いとは、キリストの身代わりの死によって私たちにどのような祝福が与えられているのかを教えます。罪の赦しと義認、聖霊の満たし、呪いからの解放と祝福、全人格的癒し、永遠の命、私たちはこれらの恵みを信仰によって頂くことが出来ます。
次に十字架の交わりとは、古い自分を日々十字架のイエス様におまかせし、十字架で古い自分に死に、キリストと共に新しい命に生きて行くことです。パウロは「私は日々死んでいる。」と告白していますが、私たちも、自分の古い性質に気付くたびに、日々、十字架の交わりを通して、古い自分に死に新しい命に生きるようにと、神様は願っているのです。十字架の交わりを通して、私たちは罪に死に、古い自分に死に、そして、律法に死ぬことが出来ます。律法に死ぬとは、自分の力で神様に従おうとする心、もがく心、焦る心から解放されるということです。それに変わって聖霊の力によって勝利することが出来るようになるということです。でも、律法に死ぬためには、自分の限界と弱さを出来るだけ早く知る必要もあります。
一ヶ月前、2月6日の日曜日、朝いつものように家族を乗せて教会へ向かおうとするとき、家の前の車道で車が動かなくなってしまいました。私の車はFF車なので、前タイヤが滑るとかなり脱出はむずかしくなります。必死にタイヤの周りの雪かきをし、ヘルパーをはめ、家内と長男に車を押してもらいながらエンジンを吹かしました。タイヤの向きを変え、もっと雪をよけて、ヘルパーをしっかりとはめてみて、何度もチャレンジしましたが、車は動きません。もうこのままでは、礼拝の時間に遅れてしまいます。そのうちに、あせり、感情的になり、つぶやきそうになりました。このまま道の中央に車を置いて、教会に行くのはまずいと思い、警察にその旨を伝え、「これから急用がありますので、このままの状態で午後一時頃まで置いておかせて頂けないでしょうか。必ず移動します。」とお願いしました。でも、警察は「それは許可できない。すぐに移動して下さい。」という返事でした。JAFにも電話しましたが、ずうっと話し中でつながりません。悪戦苦闘すること約一時間後、自分のしていることが愚かに見えてきました。そして、少し静かな心になって神様に祈ると、「町内の人にお願いしてみては。」という思いになりました。早速少し歩いて見ると、かなりパワーのあるトヨタのサーフに乗っておられる方がいることに気が付き、事情を説明して、助けを願いました。すると、すぐに親切に助けに来て下さいました。そして、私の車に赤いワイヤーロープをつなぎ、ちょっとエンジンを吹かすと、すぐに車は移動し、問題は解決しました。急いで教会に直行し、時間は遅くなりましたが、説教をすることが出来ました。
このことを通して、自分の力で何とか神様に従おうとする心や、あせりと自己中心から努力することによって、本当の解決が与えられないことを改めて知らされました。また、自分の力で神様に従わねばならないという律法的な努力の愚かさに早く気が付き、聖霊様の助けを求め祈ることが、どんなに幸いなことであるのか、実感しました。
私たちは、律法的に、あせりや、義務感や、恐れ、ねばならないという心から神様に従うのではなく、聖霊の力によって、自由に、喜びと感謝の中で神様に従うことが出来るのです。
⇒札幌グッドアワー教会のページへ
アンドリュー・マーレーは、十字架から与えられる恵みについて、二つの言葉で表現しています。それは、十字架の贖いと十字架の交わりです。十字架の贖いとは、キリストの身代わりの死によって私たちにどのような祝福が与えられているのかを教えます。罪の赦しと義認、聖霊の満たし、呪いからの解放と祝福、全人格的癒し、永遠の命、私たちはこれらの恵みを信仰によって頂くことが出来ます。
次に十字架の交わりとは、古い自分を日々十字架のイエス様におまかせし、十字架で古い自分に死に、キリストと共に新しい命に生きて行くことです。パウロは「私は日々死んでいる。」と告白していますが、私たちも、自分の古い性質に気付くたびに、日々、十字架の交わりを通して、古い自分に死に新しい命に生きるようにと、神様は願っているのです。十字架の交わりを通して、私たちは罪に死に、古い自分に死に、そして、律法に死ぬことが出来ます。律法に死ぬとは、自分の力で神様に従おうとする心、もがく心、焦る心から解放されるということです。それに変わって聖霊の力によって勝利することが出来るようになるということです。でも、律法に死ぬためには、自分の限界と弱さを出来るだけ早く知る必要もあります。
一ヶ月前、2月6日の日曜日、朝いつものように家族を乗せて教会へ向かおうとするとき、家の前の車道で車が動かなくなってしまいました。私の車はFF車なので、前タイヤが滑るとかなり脱出はむずかしくなります。必死にタイヤの周りの雪かきをし、ヘルパーをはめ、家内と長男に車を押してもらいながらエンジンを吹かしました。タイヤの向きを変え、もっと雪をよけて、ヘルパーをしっかりとはめてみて、何度もチャレンジしましたが、車は動きません。もうこのままでは、礼拝の時間に遅れてしまいます。そのうちに、あせり、感情的になり、つぶやきそうになりました。このまま道の中央に車を置いて、教会に行くのはまずいと思い、警察にその旨を伝え、「これから急用がありますので、このままの状態で午後一時頃まで置いておかせて頂けないでしょうか。必ず移動します。」とお願いしました。でも、警察は「それは許可できない。すぐに移動して下さい。」という返事でした。JAFにも電話しましたが、ずうっと話し中でつながりません。悪戦苦闘すること約一時間後、自分のしていることが愚かに見えてきました。そして、少し静かな心になって神様に祈ると、「町内の人にお願いしてみては。」という思いになりました。早速少し歩いて見ると、かなりパワーのあるトヨタのサーフに乗っておられる方がいることに気が付き、事情を説明して、助けを願いました。すると、すぐに親切に助けに来て下さいました。そして、私の車に赤いワイヤーロープをつなぎ、ちょっとエンジンを吹かすと、すぐに車は移動し、問題は解決しました。急いで教会に直行し、時間は遅くなりましたが、説教をすることが出来ました。
このことを通して、自分の力で何とか神様に従おうとする心や、あせりと自己中心から努力することによって、本当の解決が与えられないことを改めて知らされました。また、自分の力で神様に従わねばならないという律法的な努力の愚かさに早く気が付き、聖霊様の助けを求め祈ることが、どんなに幸いなことであるのか、実感しました。
私たちは、律法的に、あせりや、義務感や、恐れ、ねばならないという心から神様に従うのではなく、聖霊の力によって、自由に、喜びと感謝の中で神様に従うことが出来るのです。
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